『はちみつ色のユン』ユング・エナンさんトークイベントリポート

漫画『はちみつ色のユン』の著者で、映画では監督も務めたユング・エナンさんのトークイベントを開催しました。
国際養子として5歳で韓国からベルギーに渡ったユングさん自身の半生を描いたこの作品で、彼が描きたかったこと、そして自分自身のアイデンティティということをお話くださいました。

今回のリポートは、李 泰炅(イ・テギョン)さんです。

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『はちみつ色のユン』作者であるユング・エナン氏の来日にともない、このたびチェッコリにてトークイベントが開催されました。
当日は、漫画版の日本語訳を担当された鵜野氏、日本女子大学教授の平田氏、配給会社オフィスH代表の伊藤氏もゲストスピーカーとしてお話ししてくださいました。

ユング氏「世間一般では、子供の方が大人より環境変化に対応しやすいと言われていますが、自分もそうだったと思います。ベルギー人家族も大事にしてくれたし、自分も慣れるのに時間はかからず、幸せな子供時代でした。ただ、13〜14歳ごろから自分と周りの違いに気づくようになるんですね。具体的にいうと、朝、鏡で自分をみると周りと姿が違う。黒髪で黒目。周りは金髪碧眼なのに。自分はどこから来たのか自問するようになり、だんだん自分が嫌いになっていきます。この年齢はアイデンティティ確立で悩む時期ですが、まさにその時に、日本文化が助けになりました。自分は日本人になるんだと本気で思っていました。日本を通じてアジア人である自分に誇りをもてるようになりましたが、きっかけは家にあった百科事典でした。ある日、侍のイラストに目が止まって、その姿がとても印象に残って興味をもつきっかけになりました。部屋が「日本文化センター」状態で、兄弟には不評でした(笑)日の丸を飾り、YMOを大音量でかけ、空手の練習をし、七人の侍などの日本映画のポスターを飾りまくっていました。」

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ユング氏は、スクリーン上に、実際の写真をいくつか映し出します。はじめてベルギーに到着したときの写真、両親や兄妹の現在の写真などを見せながら説明してくださいました。

ユング氏「18歳のときにはじめて日本に行きますが、そこではじめて自分の思い込みが幻想であったと気づきました。ベルギーに帰ってからはひどく落ち込んでしまいます。自分は日本人だという思いが自分の支えだったのに、それを失ってアイデンティティの危機に陥りますが、自分が韓国人だと認めるまでには至りませんでした。その後、家を出て知り合いの教会に滞在するようになるんですが、その時期はタバスコかけご飯ばかり食べていました。いま考えてみると、韓国の孤児院での食事が「ごはん+辛いおかず」というパターンだったから、もしかしたらその時の赤くて辛い味を無意識に取り戻そうとしていたのではと思います。そのせいで胃潰瘍になり入院する刃目になるんですが、自分を嫌っていると思っていた育ての母親が毎日見舞いにきてくれて驚きました。それと同時に、自分には母親の愛を知るこの瞬間が必要だったのだと実感しました。そして、絵を描くようになって、いまプロとして活動していますが、どの作品みてもアイデンティティや母親求める気持ちをテーマにしていたなと気づかされます。『はちみつ色のユン』の前はフィクション中心でしたが、テーマは同じです。」

と、ここでバンド・デシネの原画を取りだし、客席に回すユング氏。

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ユング氏「自分の原画を持ってきました。日本のより大きくて全てに色がついているでしょう?これは日本を舞台にした『カイダン』という作品で、顔のない女性が自分の顔を探すというお話です。2007年からは自分を題材にした作品を描き始めるのですが、白黒で描きました。自分を題材にした作品づくりは、セラピー効果があることに気づきました。どういうことかというと、自分の話を描くことで、ようやく韓国が自分の母国だという事実に向き合えるようになったんです。自分のアイデンティティ確立には、自分を受け入れることがキモになると思うが、この段階でようやく韓国人である自分に自信がもてるようになったというわけです。自分が養子にならなければマンガは描かなかったと思います。マンガは自分を表現する手段で、自分の生い立ちと密接に関係があるのです。」

 

つぎに、「はちみつ色のユン」の映画の予告編が流れます。
「映画音楽の一部は私の娘がつくっていましてね。若いときはブロンドの女の子と結婚しようと思っていたけど、韓国人養子のフランスの女性と結婚しました。」と、ユング氏。

 

ユング氏のあとには、ゲストスピーカーの方々がお話してくださいました。

 

平田先生「日本の視点から韓国をみると、世界に日本と韓国しかないと思いがちですよね。でも、『はちみつ色のユン』という作品の意義のひとつは、世界がまずあって、その中に日本と韓国があるのだと気づかせてくれることなのかなと思います。」
鵜野氏「みなさん、フランスのマンガってイメージつかないでしょ?フランスのマンガというのはページが少なくてハードカバーで大きいので、日本だと絵本扱いされることもあるんですよね。日本だと3ヶ月ごとに新刊でるのが、フランスでは3年ごと。日本より絵をじっくりじっくり楽しむというタイプなんですが、だんだんフランスのマンガもページ数やサイズなどに幅がでてきました。ユングさんの作品は『ロマングラフィック』という新しい表現だと思います。日本でも引き続きこういった作品が読めるといいなと思います。」

 

伊藤氏「日本語訳されていない『はちみつ色のユン』第4巻がこの秋でたんですけど、それは映画上映後のお話です。私、2012年6月にベルギーのアヌシー映画祭でこの映画を観て、たいへん感動したんですね。その後、大学なんかでも上映会をしたんですが、『自分は何者なのか』という問いは韓国人国際養子のものだけではないので、日本の大学生たちは自分の話として惹きつけられたようですね。」

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その後の質疑応答で、お客さんから「受け入れ家庭はどのような気持ちで子供たちの面倒を見るのか?」という質問が。

 

ユング氏「受け入れ側の気持ちというのはわかりづらいものですが、養子側の話を聞く機会は多くありました。人生うまくいってる人、いってない人さまざまですが、みなに共通してるのは、心に穴が空いたような気持ちを抱えていること。頭の中では、韓国が母国だと一応納得している部分はあるようですが、心の中には空虚な気持ちが残らざるをえない。自分と違って、自らの境遇を表現することが出来ない人たちは大勢います。心の中の穴は、言葉を与えて形にしないと人に伝わらないし、それは難しいことです。私の作品に触れて、他の韓国人養子の人たちで「自分のことじゃないか!」と思ってくれる人がたくさんいました。そいうつもりで描き始めたわけではありませんが、自分の作品は、彼らの代表、大使館のような存在でありたいですね。」

 

このレポートを書いている私自身は、在日コリアン3世の大学生です。韓国と日本は同じアジアですから、欧米の韓国人養子のような外見の差異によるアイデンティティ葛藤はありませんでした。しかし、『はちみつ色のユン』の漫画を読んでいる間、自分と彼らの間になんとなく共通点を感じる場面が多くありました。ユンの周りの韓国人養子たちがかなりの割合で自殺していること、同じ韓国人養子に会うと心がざわついていた描写、韓国系であることを恥じる気持ち、自分が何人なのかという悩み、誰も自分の気持ちなどわかってはくれないだろうという感覚など、同じくよその国に根をおろした者として共感を覚えました。

 

さて、現在ユング氏は、韓国のシングルマザーのドキュメンタリーを制作中とのことです。日本語翻訳されていない第4巻含め、そちらも日本で観る機会があればいいなと思っています。
以上、トークイベントの様子をお伝えしました。