11月のCHEKCCORI読書会レポート

チェッコリ11月の読書会を開催しました。課題図書は『ギリシャ語の時間』(ハン・ガン著 斎藤真理子訳 晶文社)です。

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本書は、晶文社の新しい韓国文学シリーズ〈韓国文学のオクリモノ〉第1弾として刊行されました。そこで、担当編集者の斉藤典貴さんもご参加くださいました。

 

私は『ギリシャ語の時間』を読んで、「言葉」の表現の一つ一つがとても美しいこと、視力を失っていく男が語る色の華やかさと、言葉を失った女のモノクロの対比が秀逸だなと感じたこと、誰にも打ち明けられない、いつまでも傷として残っている心の痛みをそっと癒やしてくれるような文章にとても感動し、ずっと手元に置いておきたい作品だと思いましたが、巷では「一読しただけでは分かりにくい」という意見が多いようです。そこで、参加者の皆様にも分かりにくい作品だったかどうか伺ってみました。

すると、主体が女性なのか男性なのか分からなくて、前のページに戻って確認しなければならないところが多く読みにくかったという意見が多数でした。
ほかに、韓国人がギリシャ哲学をどのように語るのか、日本と同じ漢字文化圏の韓国で、失われた古代ギリシャ語がどのように語られているのか知りたくて読み始めたので、肩すかしを食らったような気分だった、ギリシャ哲学自体に難しい印象を抱いていたので、ボルヘスと出てくると拒否反応があった、などの意見がありました。

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しかし、はるか昔に死に絶えた古代ギリシャ語が単に物語の素材となっているのではなく、ギリシャ哲学とともに複合的に物語に厚みをもたらしているという意見もありました。

「主体が分かりにくい」という感想は、『少年が来る』の読書会でも出た感想でした。主体をはっきりさせないことで、作品をじっくり読ませるというのがハン・ガンさんの手腕なのかもしれません。
また、『少年が来る』同様、「詩のような小説」という感想も多くありました。

 

斉藤さんからは、本書を〈韓国文学のオクリモノ〉第1弾に選ばれた理由や、原著でイタリック体で書かれている部分をどのようなフォントにするか、装丁を担当された寄藤文平さんと何度もやりとりし、フォントだけで6回も修正したというお話、表紙の絵や色についてなど、普段なかなか知ることのできない本作りの過程をお聞きすることができました。

 

最後に、いつも読書会に参加してくださる方が今回は参加できないのでと、事前に感想文を送ってくださいました。一部をご紹介します。

「ハン・ガンは、この小説でも触れられているプラントと同じ立場に立っていると言ってもよいかも知れません。プラトンは、私たちが見ているものはそのものの影でしかないと主張します。私たちの言葉や視覚は対象を本質において捉えていないと言うのです。そうであるなら私たちはすでに言葉と光を失っていることになります。ただ、プラントと違うのは、ハン・ガンのこの作品には言葉や光を失うことの恐れや痛みが書き込まれていることです。これは決定的な違いです。それこそが文学の立場だと私は思います。」

 

次回は、12月19日(火)19時から。課題本は『殺人者の記憶法』(キム・ヨンハ著 吉川凪訳 クオン)です。翻訳を担当された吉川凪さんもご参加くださいます。
読む者を翻弄させる、多才な作家キム・ヨンハらしい作品です。日本では来年1月27日に映画が公開されますが、既に韓国で観てきた、試写会に行ってきたという方もぜひご参加ください。小説ならではの面白さ、原作と映画の違いなども語り合えたらと思います。

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(CEHKCCORI読書会モデレーター 五十嵐真希)