CHEKCCORI通信 Vol.173【ヤン ヨンヒ監督に戸田郁子さん、キム・ボラ監督と豪華ゲストのイベントが続きます】

※このメールは、チェッコリからお送りしています。

2023.5.25

CHEKCCORI通信 Vol.173 http://www.chekccori.tokyo/


ごあいさつ

3年8カ月ぶりにソウルに行くことになりました。 主な目的はソウル国際図書展で、 チェッコリで販売する面白い本をたくさん見つけてきたいと思いますので、 どうぞご期待ください。
https://sibf.or.kr/

そして、とても個人的なことなのですが、 大学時代に延世大学韓国語学堂で韓国語を教わった先生方に34年ぶりにお目にかかれることになりました。 初心を思い出す充実した旅になりそうで、 とても楽しみです。

(しみず)

お知らせ

別れる決心フォトブック特別価格販売中

第75回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞!サスペンスと純愛を描き、話題を呼んだ「別れる決心」のフォトブック。
みなさまの熱いご要望におこたえして数量限定で特別価格販売します!

ご購入はこちらから

イベント情報


5月26日(金)19:00~20:30
【会場+オンライン】エッセイ『カメラを止めて書きます』刊行&特集上映開催記念 ヤン ヨンヒ監督がその想いを語ります

お申込みはこちらから

5月31日(水)19:00~20:30
【オンライン】「⽇本語で読みたい韓国の本 翻訳コンクール」を語る会
―第6回課題作『火葬』編

お申込みはこちらから

6月15日(木)19:00~20:30
【会場+オンライン】見て、知って、楽しむ 韓国映画・ドラマ
『現地発 韓国映画・ドラマのなぜ?』刊行記念トークイベント

お申込みはこちらから

6月16日(金)19:00~20:00
【オンライン】『世界が広がる 推し活韓国語』大ヒット記念!
推しに愛を伝える韓国語レッスン

お申込みはこちらから

6月23日(金)19:00~20:30
【会場+アーカイブ配信】戸田郁子が語る『記憶の記録』
古い写真が紡ぐ暮らしの様相

お申込みはこちらから

6月24日(土)11:00~12:30
【オンライン】キム・ボラ監督と語る、学ぶ、考える
―『はちどり 1994年、閉ざされることのない記憶の記録』刊行記念

お申込みはこちらから

6月27日(火)19:00~20:30
【オンライン】「⽇本語で読みたい韓国の本 翻訳コンクール」を語る会
―第6回課題作『僕のルーマニア語の授業』編

お申込みはこちらから

7月21日(金)19:00~20:30
【オンライン】「⽇本語で読みたい韓国の本 翻訳コンクール」を語る会
―第6回課題作『総合』編

お申込みはこちらから

CHEKCCORI selection

2023 #5 「誰かを知りたい」

本を読む理由の一つに「誰かを理解したい」があると思います。読んだ結果、「誰かへの誤解が解ける」こともあるでしょう。誰かを知ることはつらくて苦しい経験でもあるけれど、よく生きることにもつながる。そんな読書体験を求める人のためのリストです。


CHEKCCORI BOOK HOUSEで購入する

クオンのおすすめ

セレクション韓・詩02 オ・ウン『僕には名前があった』刊行

韓国の同時代の詩を紹介する「セレクション韓・詩」から、オ・ウン詩人の『僕には名前があった』を5月31日に刊行します。

「ある日スイッチを入れるような気持ちでふと自分の名を言ってみた。無人工場とは違って僕には名前があった。無人工場とは違って、僕は人間だった」(収録作「無人工場」より)

『僕には名前があった』は「人」からはじまり「人」で終わる32篇(+付録)の連作詩集です。よく考える人、望ましい人、 凍りつく人、待つ人 、持つ人……特別な人たちではなく、ごく身近にいると感じられる人たちが描かれています。オ・ウンさんは、知らず知らず自分に影響を与えている人たちを記録しようとしたそうです。

また、作品には言葉遊びがたくさん織り込まれています。
「人類〔イルリュ〕学科だと思って入ったのに実は一流〔イルリュ〕学科だった(…)
目は心〔マウム〕の鏡〔コウル〕ではなく、集めたもの〔モウム〕を図る天秤〔チョウル〕だと言った」(収録作「一流学」より)

韓国語が分からなくてもその楽しさが感じられるようにルビや注を駆使して訳されていますが、原書(『나는 이름이 있었다』)と合わせて読むと、さらに楽しさが広がると思います。

『僕には名前があった』はCHEKCCORIで先行販売中です。

CHEKCCORI BOOK HOUSEで購入する

店長のおすすめ本


★店主きむ★おすすめの人文書

『무명의 말들(無名の言葉たち)』

2000年から2018年まで韓国に在住していた歴史学者の藤井たけしさんが、2014年から3年にわたってハンギョレ新聞に連載したコラムなどを集めたもの。社会的なイシューを取り上げながら持論を見せているが、視線はいつも観察者ではなく当事者だ。セウォル号の話が何度も出てくるが、「この事件を『セウォル号』という固有名詞で呼ぶことの危険性」を指摘し、「『4.16』と呼ぼう」と提案する。金承玉、趙世熙、李良枝、森崎和江、金時鐘、ブレヒト、『国際市場』、『九月、東京の路上で』といった作家名や映画、書籍のタイトルも多く登場し、その関連本を読みたくなる。いい本というのは、読むとついつい横道にそれてしまうものだ。藤井たけしさんの文章は隠喩が多い。韓国語で文章を書きたい人は、この本をぜひ筆写してみてほしい。

CHEKCCORI BOOK HOUSEで購入する

★ノ店長★おすすめの詩集

『너만 모르는 그리움(君だけ知らない懐かしさ)』

愛、懐かしさ、日常、自然、そしてまた愛をテーマとした5パートに分かれています。 短いけれど多くの意味が潜んでいる詩、ジーンとくる詩、やさしいようだがずっしりとした響きのある詩など100編の詩が載っています。 ぺ・ジョンエさんのカリグラフィーで書かれた詩やスローアスさんの押し絵が一緒になっていてめくるたびに楽しく飽きさせません。書き写しのできるページが右側に設けられているので、ゆっくり自分の字で書き写してみるのはいかがでしょうか。 韓国では、5月は季節の女王とも呼ばれますが、そういう今の季節にぴったりの詩集かもしれません。プレゼントにもおすすめ。

CHEKCCORI BOOK HOUSEで購入する

★山口店長★おすすめの小説

『K의 장례(Kの葬礼)』

現代文学pinシリーズの45番目となる作品、チョン・ヒラン著『Kの葬礼』です。物語はいきなり、Kの”二度目の死”からはじまります。Kという男性作家は15年前に一度自殺して死んでいます。人が二度死ぬなんてことがあるのでしょうか?ミステリーな設定が興味をひき、ひきこまれる作品です。一度死んだKが二度目の死を迎えるまでの15年間彼と同居してきた女性作家チョン・ヒジョンが第一章に、Kの実の娘である女性作家ソン・スンミが第二章に登場し、第三章ではこの二人の女性が対面することになるのですが、彼女たちの記憶や心情が丁寧に描かれています。そしてこの物語に「死」と同じくらい多く出てくるのが「自由」というキーワードです。自由とは何だろうかと考えさせられ、とても奥が深いです。最初はなんとなく表紙の絵がかわいいと思って手に取ったこの本でしたが、読後にふたたびこの絵をよく見てみると、この物語の奥深さにリンクしているようにも思えてドキリとしました。

CHEKCCORI BOOK HOUSEで購入する

★かな店長★おすすめのインタビュー集

『질문은 조금만(質問は少しだけ)』

「GQ KOREA」の編集長として活躍したイ・チョルガルのインタビュー集です。インタビュー対象は、スポーツや文学、音楽とスピリチュアリティ、ファッションなどさまざまなジャンルで活躍している11人。華やかな活躍をしている人ばかりですが、一枚殻をめくれば、普通の人と同じように不安や挫折を味わったこともあります。 一般的なインタビューは質問文と回答の形式で構成されますが、本書は筆者によるインタビュー対象者の描写と、対象者の語りで構成されています。インタビュー対象者の着ていた洋服や靴、口癖や手振りや身振り、表情などが細やかに描かれているので、それぞれの人物の価値観を理解しやすく、その場の情景が浮かんできます。

CHEKCCORI BOOK HOUSEで購入する

ミニコラム

<しみずの凸凹翻訳記>

#4 プロフィールって何だろう

先日、ちょっと提出する先があってプロフィール写真を家人に撮影してもらった。窓際の明るいところに置いた椅子に座って、パシャ。体を少し右に向けて、パシャ。背景に等身大の鏡を入れ後ろ姿をぼんやり映り込ませて、パシャ。そのたびに家人は「うーん」と言いながら首を傾げては顔を曇らせる。曰く、それは決して被写体がイマイチだからとか映りが悪すぎるとかではなく、写真の命である「光の加減」が気に入らないからだそうなのだが、私としては何度経験しても慣れられない、モヤモヤする瞬間だ。

それはさておき、続いて、写真に添えるプロフィール文をまとめた。といっても、生年や学歴、著書・訳書、受賞歴など客観的事実が必須項目になっていて字数制限もあったので、あっという間に記入欄がいっぱいになった。

韓国の本を見ていると、個性的な著者プロフィールに出会うことがたびたびある。客観的な情報がほとんどなく、詩的だったり、主観的だったり、哲学的だったり、そんな文章だけが並んでいるのだ。

たとえば、「一時は詩人を夢見、本を通して世の中を見つめてきたことが経歴のすべて」(ヤン・チョルジュ著『紙の上の散策者』)とか、「韓国で翻訳出版する本を探すのだと言ってしょっちゅう近所の本屋に行くけれど、直観的に選んでしまうせいで成功確率はきわめて低い」(イ・ジミン著『ブルックリンの本屋はコーヒーを売らない』)とか、「よい生活人、よい親、よい大人、よい人になりたい。大人として自分と他人、共同体に対してどんな態度で臨み、行動すべきかと問いかける時、よい大人になれると信じている」(キム・ヘミン著『今よりよい大人』)などがその例だ。

翻訳者の立場で言うと、そんなプロフィールを目にした時、しかも、いくら調べても客観的な情報が出てこない時は「ああ、どうしよう。これをこのまま訳して出したらNGだろうな」などと思わずそわそわしてしまう。一方で、読者としては楽しいもので、著者のメッセージ性や物書きとしての姿勢みたいなものも強く感じられ、そこからすでにその本の世界に深く入り込んでいける気がする。

いつ、どこで、詩的で主観的で哲学的なプロフィールのスタイルが生まれたのかはわからないけれど、何に関心があるのか、何を追求しているのかという点に共感ポイントを求めるSNS時代の産物なのかもしれないし、学歴とか年齢にこだわらず、フラットな目で世の中を見つめたいという、超競争社会や格差社会、パワハラなどへの反発でもあるかもしれない。

そんな考えを巡らせながらも、やっぱり生年とか出身地とかがあった方がその本を深く、広く読めていいのではないかなと思ってしまう自分がいて、私はコンデ(頑固で時代遅れの古い人)なのだろうか、いやだ、だめだとかぶりを振る。次の訳書が出る時は自分のプロフィールをどう書こうか。もし許されるなら、少しだけ詩的で主観的な情報を入れてみるのも悪くないかもしれない。

(しみず)

発行:CHEKCCORI(チェッコリ)
http://www.chekccori.tokyo/
https://twitter.com/chekccori
〒101-0051 東京都千代田区神田神保町 1-7-3三光堂ビル3F
TEL:03-5244-5425 FAX:03-5244-5428 
mail:info@chekccori.tokyo